据え置いている間に、周りは上げ終えている
部品も油脂も値上がりし、最低賃金は毎年上がる。それでも工賃の表だけは、何年も前のまま貼ってある。客が離れるのが怖くて、改定の話を切り出せずにいる。あなたがそう感じているなら、まず周りがどう動いたかを見てください。
整備の世界で工賃の物差しになるのが、1時間あたりの基本工賃である「レバーレート」です。日整連の令和6年度の調査によると、令和5年度のレバーレートは業界全体の平均が8,717円、中央値が8,800円でした。最高はディーラーの19,200円、最低は専業・自家の3,000円と幅は広いものの、平均は前年より419円(約5%)、中央値は800円上がり、すべての業態で前年を上回っています。工賃を出すときの計算にレバーレートを使う事業者は82.9%。多くの店が、この物差しを年々引き上げているということです。
つまり、据え置きは「動かないでいる」のではありません。周りが部品・人件費の上昇を単価に乗せ替えている横で、あなただけが上昇分を自分でかぶり続けている状態です。同じ作業を同じ時間でこなしても、手元に残る額は年々細くなります。
適正な単価は、相場でなく自店の原価から逆算する
「では9,000円に合わせればいいのか」と考えたなら、そこが据え置きの一つ目の原因です。相場に並べても、自店の人件費や設備費が相場より重ければ、その単価では足りません。日整連は工賃の出し方として、相場合わせではなく原価からの逆算を示しています。
人件費・諸経費・設備費などの必要経費に適正な利益を上乗せし、その総額を「実際に工賃を請求できる作業時間(総有効作業時間)」で割って、1時間あたりの単価を出します。要点は分母です。一日8時間いても、見積もり・部品手配・手待ちを除いた、客に請求できる時間はもっと短い。分母を実態より大きく見積もると、単価は低く出ます。
自店の決算書から、人件費と経費の年額を入れて一度この計算をしてください。出てきた単価が、いま貼っている工賃と離れていたら、その差が毎日取りこぼしている利益です。下は計算で見るべき三つの数字です。
| 見る数字 | どこから取るか | つまずきやすい点 |
|---|---|---|
| 必要経費(人件費+諸経費+設備費) | 決算書・試算表 | 社長自身の人件費を入れ忘れる |
| 適正利益 | 残したい営業利益から逆算 | 「ゼロでいい」にしてしまう |
| 総有効作業時間 | 整備士の実作業時間の集計 | 在席時間で割って分母を膨らませる |
数字の出典・対象は日整連「レバーレート算出マニュアル」。自店の決算値を入れて計算するための枠組みです。
この逆算をすると、改定は「いくらに上げるか」という勘の話ではなくなります。原価が出した単価を根拠に、いまの工賃をそこへ近づける、という事実の話に変わります。客に説明するときも、この根拠が効いてきます。
「客が逃げる」の中身を、数字で開いてみる
据え置きの二つ目の原因は、「客が逃げる」という恐れが、漠然としたまま大きくなっていることです。ここを分けて見ます。1時間8,700円の作業を9,200円に直すと、車検1台で工賃が数千円増えます。この数千円で離れる客は、価格だけを比べていて、もともと固定客になりにくい層です。長く付き合う客は、整備の確かさや代車・引き取りといった手間で店を選んでいます。
逆に、据え置きで失っているものを見ます。安く請けた仕事のしわ寄せは、必ずどこかに出ます。多くは整備士の残業か、社長自身の取り分か、設備更新の先送りに回ります。整備要員の平均年収は425.8万円で、この賃金を払い続けるにも、賃上げするにも、工賃の単価がその原資です。単価を据え置いたまま人を雇い続ければ、原資のない約束をしていることになります。
恐れが正しいかどうかは、二つの数字を見比べれば分かります。改定で離れるかもしれない価格客の売上と、据え置きで毎月削れている利益。後者のほうが重いなら、上げない理由は感情であって、経営の判断ではありません。
一律で上げない ― 改定に段階をつける
三つ目の原因は、全車種・全作業を一斉に上げようとして、その大きさに自分でひるむことです。改定は一律にせず、効くところから順に直します。
- 原価との差が大きい作業から直す:手間がかかるのに工賃が低い作業(持ち込み診断、電装、輸入車など)を先に適正単価へ。数をこなす定番作業はあとに回す。
- 新規の客から新単価にする:いまの常連の請求を急に変えるより、新しい見積もりから新単価で出す。常連へは改定時期を予告してから移す。
- 値引きの常態化を先に止める:表の工賃を上げても、現場が値引きで戻していては同じ。まず「いくらまでなら引いていいか」の線を決め、表の単価と実際の請求をそろえる。
段階をつければ、改定は一度の大決断ではなく、数か月かけた調整になります。反応を見ながら次の作業へ進められるので、踏み切るための心理的な重さが下がります。
値上げの理由を客に伝える ― 国の後押しを使う
黙って請求書の工賃を上げると、気づいた客との間でもめます。改定の理由を、いつから・いくら・なぜ、の形で先に伝えてください。これは店だけの都合ではなく、国が後押ししている動きです。
中小企業庁は毎年3月と9月を「価格交渉促進月間」とし、部品費・労務費などのコスト上昇を理由に取引価格を見直すことを促しています。労務費の転嫁については内閣官房・公正取引委員会が指針も出しています。フリート(リース・法人)の取引で工賃の見直しを切り出すとき、この枠組みは交渉の足場になります。
一般の客に対しては、店頭でできることがあります。改定の時期と新しい単価を貼り出し、見積もりを渡すときに「部品も人件費も上がっていて、この時期から工賃を見直しました」と一言添える。値上げを隠すより、理由を先に開くほうが、あなたへの信用はむしろ保てます。安さだけで選ぶ客を相手にする店ではない、という姿勢を示すことにもなります。
あなたの店が今期からできること
大きな制度論で終わらせず、今期の決算を見ながら動ける形にします。順番は前の章のとおり、逆算・段階・説明です。
- 直近の決算書から、人件費(社長分を含む)と諸経費・設備費の年額を書き出す
- 整備士の在席時間ではなく、客に請求できた実作業時間を集計して分母にする
- 必要経費+残したい利益を総有効作業時間で割り、適正な単価といまの工賃の差を金額で出す
- 手間の割に工賃が低い作業を一覧にし、原価との差が大きいものから新単価に直す
- 値引きの上限を決め、表の工賃と実際の請求額のずれをなくす
- 常連には改定時期を予告し、新規の見積もりから新単価を適用する
- 改定の時期と新しい単価を店頭・見積書に明記し、見積もりの場で一言で理由を伝える
- 法人・リースの取引は、価格交渉促進月間(3月・9月)に合わせて見直しを切り出す
工賃の改定は、勇気でやることではありません。自店の原価という事実から単価を出し、効くところから段階で直し、理由を客に伝える。この三つをそろえれば、上げることが怖い決断ではなく、当たり前の手入れになります。